土佐凧のまち

TOSA TAKO

土佐凧の歴史

土佐凧は、戦国時代に相手との距離を測るための兵器として使用されたといわれています。 ブンブンと空を切る音は相手を動揺させ、心理的に追い込むことにも効果があったといいます。

江戸時代になってから、高知県の東部地域では、男の子の誕生や節句を祝って揚げられるようになり、 また還暦の祝いに凧揚げをしたりする風習になっていったといわれ、家紋を描いた凧も多く見られます。 墨の線と鮮やかな赤色が特徴の土佐凧の赤には、魔除けの意味があります。

土佐凧を揚げて祝う行事では、親凧である大凧に竹駕籠を結びつけてつるし、 その中に景品を書いた白い札「尾羽|おば」を入れ、この竹駕籠に紙で蓋をして その先に百草のような導火線を付け凧を上げます。この導火線に火をつけて竹駕籠の紙蓋を燃やすと、 中にあった札が駕籠から地上に舞う「焼き出し」といった仕掛けで、これを奪い合う様は壮観です。

土佐凧の特徴

土佐凧は、正方形で一角を上にした形が特徴で、大きいもので 180cm 四方ほどあります。 手作業ですいた土佐和紙を使い、和紙を二~三年、日陰の風通しの良い棚で寝かせ、 三カ月に一度パタパタと空気を吸わせて、紙の強度を上げていきます。 こうすることで墨や染料がかすれない、厚くて丈夫な手すきの土佐和紙となります。

絵柄は、力強さの象徴として金太郎や勇ましい若武者など伝統あるものから、 近年では女の子向けに姫だるまやめでたい鶴、干支などさまざまな絵柄も描かれます。 絵画とは異なり何度も線は書かず、一筆書きにして迫力を出します。 下絵などはなくそれぞれ直接描く手法で、二枚と同じ物はありません。 土佐凧づくりは湿度が重要で、染料や顔料が乾く時間が仕上がりに影響するため、 空気が乾燥する冬期が適しているといいます。

骨組みには高知の孟宗竹が使われます。凧に竹を貼る材料は、昔からの製法と変わらず、 ご飯をこねて作ったのりを用いています。 描くのも凧を組むのもすべて一人の手作業で、ひとつひとつ心を込めて作り上げられています。

土佐凧が描かれた染物

Photo:熊谷 順(熊谷順写真事務所)

吉川染物店

岸本にある吉川染物店の歴史は、現在から五代前の当主 吉川金太郎に遡ります。 それまでは材木業を営んでいましたが、浮世絵師に憧れ幕末の有名な絵師、弘瀬金蔵に弟子入りして、 絵を中心にした染め物業を始め、江戸時代の末期から土佐凧を作り始めます。 四代目の吉川登志之氏は「現代の名工」に認められ、その技術を平成二十三年に「土佐の匠」に選ばれた、 五代目の吉川毅氏が受け継いでいます。 使う和紙の調節や絵付け、骨組みの作業は江戸時代と変わらず、今でもすべて手作業です。 戦前にはこうした土佐凧の工房が高知に四軒ほどあったそうですが、今はこの吉川染物店ただ一軒のみになっています。

五代目 吉川 毅 氏

土佐凧デザインコンペ募集案内

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高知県の海辺の小さな町
「岸本」を彩ってみませんか?

  • ◆ 応募期間
  • 現在、新型コロナウィルス感染予防対応のため、安全安心な開催に向けて計画中です。開催決定後は本ホームページ等でお知らせします。

  • ◆ 応募要項
  • 現在、新型コロナウィルス感染予防対応のため、安全安心な開催に向けて計画中です。開催決定後は本ホームページ等でお知らせします。

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第1回コンペ 2019年:応募作品数 177点

受賞3作品の軒下タコへのモディファイアレンジ

モディファイデザイン:池山 悦朗(株式会社エンピツ・グラフィックス)